「魏志倭人伝」
…「『三国志』中の魏書にある東夷伝の倭人条」。
cf. 東夷伝の「東夷」は、「東方のえびす(異民族。野蛮人)」の意味。征夷大将軍の「夷」
も尊王攘夷の「夷」も同様。
「魏志倭人伝」は俗称。
倭人
…「背中の曲がった、身長の低い人」。
cf. 中国での我が国とそこに住む人々の古い呼称で、匈奴や吐蕃のような蔑称。倭夷(「東
夷の倭」)、倭奴、大倭(大和)とも。矮小(わいしょう)の矮(「背が低い」)と同系。
史料に初めて登場するのは、『漢書』中の「地理誌」に「倭人が分かれて百余国を
なしている」という記述。
ヤマトが自称だが、その由来は「山処(やまと)」、すなわち「山のある所」を意
味する地名(近畿や北九州など、各地にある)とされる。
『古事記』中に、倭建命(ヤマトタケルノミコト)の作として伝わる「大和は 国
のまほろば たたなづく青垣 山こもれる 大和しうるはし」という歌を想起する。
邪馬台国の「邪馬台」は、中国での音訳なので、その頃(3世紀)にはすでに用い
られていたのだろう。
倭も大和も日本も「やまと」と読ませるが、漢字の読み方ではなく完全な当て字。
大和の大は「偉大な、大いなる」の意味で、和は蔑称の倭を避けつつ「狭い国土(平
野、盆地)なのだから、和を大切に」のニュアンスも込められたものか?
日本は「ひのもと」で、「太陽の昇る所」(中国から見た方向。もとは「元」でな
く「本」で、場所を意味するので、ヤマトの「ト」と重なる)の意味を持ちつつ、大
和の枕詞(つまり、「ひのもとの 大和の…」のように、歌などで使う言葉)に由来
するという説がある。